2012/12/04

思い出の12月


急に寒くなりましたが、お元気でお過ごしですか?

今週の土曜日はいよいよat!単独ライブ第二弾です。まだまだ先のことと思っていましたが、月日が経つのは速すぎる。あっという間に12月になっていました。
今回も楽しみです!一部はat!で、二部は強力援軍のおかげでat!2になるので、Duoとカルテットの楽しさをどちらも味わえるから。
いらしてくださる皆さまもぜひ楽しみにしていてください♪


さて・・・タイトルは「思い出の12月」ですが、、いろんなことを思い出してみたら、私にとって12月というのはなんて劇的なことが今まであったんだろうと。人生の一大事的なことが12月に起きている確率が高いというかなんというか。
その中でもスペシャルに大きかった一つめは5歳のクリスマスでした。父が突然ピアノを買ってきたことがピアノを始めたきっかけになりました。

そしてスペシャルの中のひとつ、ずいぶん前の1217日に坂本龍一さんのピアノを坂本さんに触れられる距離で聴いたことがあるのです。

もう年月が経っているので、書いても坂本さんにも叱られないと思うので書きますね。
以前の職場、大学病院小児科で私は医局秘書兼子どもたちの遊ぶ空間を担当していました。とても重症な子どもたちばかりで明日はどうなるかわからない子たちに精一杯の医療と、せめて子どもらしく生きられるように「楽しくて自由な空間を作ろう」というドクターたちの想いにより病棟の中に小さな学校がありました。学校と言っても、いわゆる院内学級ではなく、明るくて楽しくて病気のことをほんの一時忘れられるような、そういう逃げ場所的なものです。その学校は心理の先生がひとりで担当していたのですが、私が秘書として勤めてから、ヤマハの講師をしていた前歴を見込まれ、子どもたちと歌ったり合奏したりしてほしいと頼まれたことがきっかけでした。幸い、プレイルームにはドクターのお姉さんがご寄付くださったグランドピアノがあり環境としては抜群でしたが、私には医療従事者としての資格がなかったので重病な患者さんたちを前に戸惑うこともいっぱいありました。また、仲良くなった子どもたちが亡くなった時はあまりに辛過ぎて、この仕事を続けていけるのかと何度も思いました。けれども、どんなに大変な病気でも明るく子どもらしく生きようとしている子どもたちから教えられることはあまりにも多く、またその子を支えている親御さんから教えていただくことも多く、気がつけば大好きな職場になっていました。
そのような中、たまたま育児雑誌に紹介された私たちの活動の記事を飛行機の中で坂本龍一さんが見つけてくださり、広告代理店の方を通して「子どもたちの前で演奏させてほしい」と連絡をいただきました。
はじめはそれが「どっきりカメラじゃないよね?」なんて思ったのですが、いや、よく考えてみれば一般人の私がどっきりカメラにいたずらされるわけもなく(笑)・・・。そしてその日が、1217日でした。
坂本さんはワールドツアーで一緒のビオラ、バイオリンの方を二人連れてきてくださり、トリオで一時間も演奏してくださったのですが、子どもたちは誰一人プレイルームから退出しませんでした。赤ちゃんですら・・。
坂本さんは物腰がとても柔らかく、声もソフトで優しく、最後に「病気が治るようにがんばってね」と笑顔で去っていきました。
その時にわかったのは、ほんとうに素晴らしい音は赤ちゃんですらわかるということです。いえ、赤ちゃんや子どもだからわかるのかもしれません。坂本龍一という人は本物だと確信しました。



128日のライブでは、その時に坂本さんが最初に演奏してくださったエンニオ・モリコーネの「1900」を演奏します。あまりに思い出深く、切ない気持ちにもなりますが、とても希望に満ちた曲で大好きな曲です。来年が誰にとっても希望に満ちた年になるように願って演奏したいと思っています。


・・なんだかいつものat!ブログと違ったテイストになってしまいましたが、坂本龍一さんのようにはなれるわけもありませんが、at! の音楽を聴いた方がほんの少しでも楽しい気分になっていただけるよう、これからも頑張りたいと思っています。(acco